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広島地方裁判所 昭和49年(ワ)557号 決定

原告 上田近松 ほか二名

被告 国 ほか六名

主文

本件につき、広島刑務所長に対し、別紙記載の検証目的物の提示命令を求める原告らの昭和五六年六月二三日付申立を却下する。

理由

一  本件申立の理由

本件申立の理由は、別紙申立書中の「提示命令を申立てる理由」記載のとおりであつて、その主張するところは要するに、当裁判所昭和四九年(ワ)第五五七号損害賠償請求事件(以下、本案事件という)において昭和五六年五月一四日検証が行われたが、別紙記載の検証物(以下、本件検証物という)の所持者である広島刑務所長はこれに先立つて同年四月三〇日付回答書を以つて検証を拒否し、検証は不能になつたが、同所長において本件検証物の提示を拒否する正当な理由はないので、民訴法二七二条一項により広島地方裁判所が広島刑務所長の監督官庁である法務大臣の承認を得た上で、右所長に対し本件検証物の提示命令を求める、というものである。

二  当裁判所の判断

検証目的物提示義務に関しては、文書提出義務に関するような具体的受忍義務の定めがない反面、第三者が正当の理由なくして提示命令に応じない場合に過料の制裁規定があることからみて、証人義務に類した公法上の一般的義務と解されるから、正当の理由の有無については、証言の拒絶事由(二八〇条、二八一条)を類推して具体的事情に即して判断されるべきものということができる。

そこで本案事件において、広島刑務所長が本件検証物の提示を拒否するについて正当の理由があるかどうか検討する。

身分帳簿は、監獄法施行規則二二条一項に基づいて監獄の長である刑務所長がもつぱら受刑者の処遇経過を把握するために作成する文書であり、そのうち接見表には、接見の許否、立会省略の許否、接見の年月日、接見者の住所・氏名・年齢・職業受刑者本人との関係、出願の要旨、接見時間等のほか、談話の要領を記載し、また同書信表には、受刑者が発受信する信書について、発受の許否、発送又は交付年月日、発受信者の氏名・受刑者本人との関係等のほか、書信の要旨を記載する(監獄法施行規則一三七条、収容者身分帳簿様式)ものである。このように身分帳簿の接見表及び書信表には、受刑者について行刑上の記載がなされていて受刑者の名誉もしくは人権と不可分の関係にある内容を有しているとともに、刑務所長の施設管理に必要な事項を含んでいるから、刑務所長が身分帳簿を受刑者以外の者が当事者になつている民事訴訟事件の検証において提示することは、受刑者の名誉もしくは人権を侵害するおそれがあると同時に公務上の秘密がもれるおそれがある。従つて、このような場合、刑務所長には、検証物として身分帳簿またはその一部分を提示することを拒否するについて正当の理由があり、検証のための提示義務を負わないものというべきである。

なお、原告は、検証における身分帳簿の提示につき、法務大臣の承認を得ればよく、承認があれば刑務所長はこれを拒むことができないと主張するけれども、身分帳簿の内容及び性質に鑑みれば、刑務所長としての職務上の秘密事項であるにとゞまらないので、刑務所長としては法務大臣の承認を得るまでもなく、身分帳簿の提示を拒むについて正当な理由があるといえるから、原告の右主張を採用することはできない。

よつて、原告の本件検証物の提示命令を求める申立は理由がないから、これを却下すべきものとし、主文のとおり決定する。

(裁判官 森川憲明 大前和俊 土生基和代)

(別紙)検証の目的物

広島刑務所作成の甲野一郎、乙野二郎に対する「収容者身分帳」のうち左記部分

甲野一郎につき、昭和四九年一一月一八日から昭和五五年七月八日まで乙野二郎につき、昭和四九年一一月一八日から昭和五〇年一〇月一七日まで

(別紙)申立書

一、提示を求める検証の目的物

広島刑務所作成の甲野一郎・乙野二郎に対する「収容者身分帳」(甲野一郎につき自昭和四九年一一月一八日至昭和五五年七月八日、乙野二郎につき自昭和四九年一一月一八日至昭和五〇年一〇月一七日)

二 提示命令を申立てる理由

(一) 原告等の昭和五五年一二月一六日付検証の申立が採用され、昭和五六年五月一四日検証が行なわれたが、検証物の所持者である広島刑務所長は昭和五六年四月三〇日付回答書記載の理由で検証を拒否し、検証不能であつた。

(二) わが国の裁判権に服するものである以上、正当な事由がないかぎり検証を拒否することができず、検証を拒否できる正当な事由の範囲は、証言拒絶のできる範囲と同一であるとするのが通説判例である(兼子一「民事訴訟法体系」二八一頁、「法律実務講座」民事訴訟編Ⅳ三二九頁、「注解民事訴訟法」(5)二六四~八頁)。

(三) 昭和五六年四月三〇日付回答書からすると広島刑務所長は民事訴訟法第二七二条一項に依拠して検証を拒否せんとするものと思われる。この場合には、監督官庁の承諾を求めればよく、監督官庁は、公務員から職務上の秘密に関する事項を発表するための許可を求められた場合、法律または政令の定める条件および手続にかかる場合を除いては許可しなければならないと明記されており(国家公務員法第一〇〇条第三項)、裁判所から求められた場合も同様に解すべきは当然であり、特別の事情がないかぎり承認を拒むことはできない(前記注解(5)一六頁)。そして監督官庁が承認すれば、公務員は証言や検証物の提供を拒むことができない。

(四) 法務省設置法第一三条の三第一項によれば、法務大臣の管理の下に刑務所が置かれている。したがつて本件検証目的物の提供については、法務大臣の承認を得ればよく、承認があれば広島刑務所長は検証物の提供を拒むことができない。

本件において、法務大臣が承認を拒む特別の事情は全くなく、それどころかこれを拒むのは別の正当でない事情に基づくものではないかとさえ疑わしめるものがある。何故ならば、本件刑事事件においても、接見禁止中の被疑者の面接を立証する看守の「日誌」についても任意の提出を拒み、更に提出命令決定があつてもなお、種々の尤もらしい理由で提出を遷延し、甲野・乙野の身分帳の提出についても提出命令によらなければ提出をしないとの態度で終始した。

その拒む表面的理由は取扱規則や受刑者の人権等さも尤もらしい理由によつていたが、現実にこれらの証拠が提出されてみると検察側にとつて極めて不利な事実の記載のあることが判明し、検察側が提出を渋るのはこの不利な事実があつたためであるかと思わしめる状況であつたことは刑事一件記録上明白である。

本事件において、被告国は、その監督下にある広島刑務所長が裁判所の要請に基づいて本件検証物の提示をすることを承認しない正当の理由はなく、拒否すること自体却つて疑惑の念を抱かしめる基である。

(五) よつて、貴裁判所において法務大臣の承認を得た上、広島刑務所長に対し第一項記載の検証目的物の提示命令をされるよう申立てる。

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